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横濱もののはじめ探訪(その2) 西洋時計の輸入
江戸時代の日本では、かなり精巧な時計が作られていた。しかし、開港後もたらされた西洋時計、とりわけ懐中時計の精密さに日本人は目を見張ったことだろう。記録によって確かな、横浜最初の時計修理の技術者は、日本人から「トケイヤ フヲルコ」と呼ばれたアメリカ人フォークで、1859(安政6)年末にはすでに横浜にいたことが知られる。
西洋時計が本格的に輸入されるようになったのは、1864(文久4)年にスイス人ファヴルブラントが現在の山下町84番地に商館を開いてからである(のち175番地に移転)。彼はその前年に、スイスの時計業組合会長を務めていたアンベールを団長とする使節団の一員として来日している。1866(慶応2)年には、やはり団員の一人だったブレンワルトが53番地にジーベル&ブレンワルトという商社を設立し、時計の輸入と生糸の輸出に乗り出した(翌年90番地に移転)。
横浜開港資料館調査研究員 斎藤多喜夫